曖昧さ耐性

最近知った「曖昧さ耐性」という言葉。
心理学の概念で、「曖昧さに耐えられるか否か」ということらしく、
 曖昧さに耐えられる(曖昧でいい):耐性が高い
 曖昧さに耐えられない(グレーゾーンが苦手、ものごとは白黒つけなくてはならぬ):耐性が低い
ということのようです。

すべての事柄において、「曖昧さ耐性がある」「曖昧さ耐性がない」と一律で決めることはできませんが、全体的な傾向として、曖昧さ耐性が高い方が生きていく上でもストレスが低いような気がします。
時と場合と状況によって、グレーでいいや、という場合と、白黒つけたい、という場合の線引きそのものが「曖昧」ですが、物事にこだわらない方が気楽です、少なくともぼくにとっては。

多様性と言ってしまえばそれまでですが、詳細に手順一のつ一つまで説明すると100%の能力を発揮する人もいれば、大まかな説明で100%の能力を発揮する人もいます。ただ、前者は規定通りの作業にこだわるので想定外の能力を発揮する可能性はかなり低いですし、後者は予想を超える能力を発揮する可能性があるものの、ちゃんと見ておかなければ見当違いの方向に進んで行ってしまうことも。

曖昧さ耐性が低い人にはマニュアル化「された」仕事とマニュアル化「する」仕事をしてもらい、曖昧さ耐性が高い人にはマニュアルの「ない」仕事をしてもらうのが良さそうです。曖昧さ耐性の高い人にマニュアル化する仕事をしてもらうとダメな気がします。曖昧な状態で仕事を進める人は、頭の中が一本道ではなく複数の道を同時に動かしている状態にあるので、それをマニュアルにするのは至難の業です。割り込みや条件設定が言語化できればいいですが、そもそもそれができていれば、マニュアル化された仕事になっているわけで…。

指示する側からすれば、曖昧な指示でも意を組んで(正しい方向に)進めてくれる方が嬉しいですし、指示される側からすれば、手順の一つ一つまでマニュアルで固めてくれたほうが嬉しいです。ISOなどの作業標準的な考え方は「マニュアル化」に通じるので、曖昧さ耐性の低い側に照準を定めた考え方なのかもしれません。

自分の立ち位置によって考え方が違うのは当然ですが、ぼくはどちらかというと指示される側でも曖昧に指示される方が自分の色を出せていいなあ、と思います。ま、自分の色を出しすぎて怒られるのが常ではありますが(笑。

結論:適材適所は大事です。