ブータン 山の教室

2023-05-01

ブータン 山の教室です。英題だと「Lunana A Yak in the Classroom」(ルナナ 教室のヤク)です。
ドキュメンタリーのような、ドラマ仕立てのような、そこにある自然が自然のままで表現されている(自然だから表現でもないか)、なんともいい映画でした!

(ここから、公式サイトより)
現代のブータン。教師のウゲン(シェラップ・ドルジ)は、歌手になりオーストラリアに行くことを密かに夢見ている。だがある日、上司から呼び出され、標高4,800メートルの地に位置するルナナの学校に赴任するよう告げられる。一週間以上かけ、険しい山道を登り村に到着したウゲンは、電気も通っていない村で、現代的な暮らしから完全に切り離されたことを痛感する。学校には、黒板もなければノートもない。そんな状況でも、村の人々は新しい先生となる彼を温かく迎えてくれた。ある子どもは、「先生は未来に触れることができるから、将来は先生になることが夢」と口にする。すぐにでもルナナを離れ、街の空気に触れたいと考えていたウゲンだったが、キラキラと輝く子どもたちの瞳、そして荘厳な自然とともにたくましく生きる姿を見て、少しずつ自分のなかの“変化”を感じるようになる。
(ここまで、公式サイトより)

ヒマラヤの麓に実在する村で撮影されたので、風景セットなど小細工なし。村人役もルナナの村人が演じたというから驚きです。級長の子は「映画を見たことがない」とのことだけど、だからこそ演じていない素の表現ができたんだろうなぁ。
電気も来ていない寒村での撮影ともなると、ありとあらゆる機材を持ち込まねばならず、村に急な発展(?)をもたらしますが、その後、この村がどうなっていくのかが気になります。この作品では「作り物ではない風景」で撮ることができたのでしょうけど、一度手に入れた文明を手放すのは難しいですからね…。
GNH(国民総幸福量)1位と言われるブータン王国ですが、人の思う幸福ってなんでしょう。精神的な幸福、物資的な幸福、経済的な幸福…。人それぞれに幸せの指針は違います。そもそも、そのような指標をもって「幸せ」を順位付けすること自体が「不幸せ」なことなのかもしれません。

物語の中で「~~ イン ラー」という表現がよく出てきたのでチベット語っぽいなぁ、と思って調べてみると、ブータンの公用語はゾンカ(ゾンカ語)で、チベット語の南方方言の一つらしいです。
チベット語は日本語と同じように「主語、目的語、動詞」から成り立っていて、例えば「私は日本人です」であれば、「ンガ(主語:私は)、ニホンネー(目的語:日本人)、イン(動詞:です)」となります。
(英語だと、アイ(主語:私は)、アム(動詞:です)、ジャパニーズ(目的語:日本人))
ゾンカは言葉の最後に「ラー」を付けることで丁寧語となり、子供が先生に答える場面などでは当たり前の口調だったわけですね。
こんなところで、チベット語が役に立つとは思いもよりませんでした。

機会を作って、ヒマラヤの麓、チベット・ネパール・ブータンにまた行きます。(決意!)